ひとりごと

若手俳優のオタク

ファンサは宝くじ


「ファンサ」「神対応」「塩対応」…元々はアイドルのファン界隈で使われていた言葉のような気もするが、すっかり若手俳優界でも頻繁に耳にする言葉になっている。

 

芝居が本業である役者を応援しているにも関わらずこういうことに頭を悩ませるのはどうなんだ?と思わなくもないけど、若手俳優の多くが「そういう」売り方をされている以上、考えずにはいられない。 

推しは自分の顔と名前を覚えてくれているだろうか」という認知欲から始まり「この前出した手紙は読んでくれただろうか」「あわよくばカテコで舞台上から私を見つけてくれて、目が合ったりしないだろうか」など、様々な雑念を抱きながら、日々若手俳優のオタクとして生きている。 


所謂“会いに行ける”若手俳優を応援してると、接触イベントなど一対一で話す機会が結構ある。例え数秒間だろうと推しと言葉を交わしたり握手をしたりチェキを撮ったりする瞬間思わず、彼は自分だけを見てくれている!みたいな感覚になるのは私だけじゃないはずだ。 

そんな折、推しが自分との接触をテンプレ通りのかる~い対応で終わらせたり、テンプレならまだしも若干推しのテンションが低めだったり、自分の前後のファンと仲良さそうに話していたりするのを見ると、それはもう、大層落ち込む。

 

私は何かまずいこと言ってしまっただろうか?ニヤけすぎててキモいと思われたのか?もしかして…私、干されている…!? 


接触イベントじゃなくても、前列に座っていても全く目があわなかったりとか(推しはカテコ中頻繁に客席を見ているのにも関わらず)他の同担に手降ったりしてるのを見てしまったりとか、落ち込む案件はいくらでもある。 


ただ、そういう気持ちになってしまったが最後、不幸なオタク人生が始まる、ということも重々わかっているので、どうにか無理なく自分を納得させてポジティブになれる考え方は無いか模索し、ある日私はこう考えることにした。 

「ファンサは宝くじと一緒」だと。 


宝くじを買ったとする。

 

「買ったからには当たって欲しい~!」とは思うけれど、もし当たらなかったとしても、私宝くじ運営会社に嫌われてる…?と悩んだり、自分の何がいけなかったんだろう…って泣いたりはしない。(もしかしてする人もいるかも知れないけど、少なくとも私の周りにそんな人はいない)

 

要は、ファンサは宝くじと一緒で、運とタイミングによる、と思うことにした。宝くじをいっぱい買えば当たる確率が高くなるのと一緒で、いっぱいチケットを買って現場に入ればファンサを貰える確率があがる可能性もある。


若手俳優も人間なので(言葉を選ばず言えば)生理的に受け付けないファンには「塩対応」になるかもしれない。だが、向こうはあくまで「商品」として自分を提供している以上、よっぽどのことがない限りファンの好き嫌いで対応に差など見せないだろう。 


そもそも、ファン内で実しやかに囁かれている「あの子は推しから好かれている(所謂オキニ)」「あの子は推しに嫌われている(所謂オキラ)」なんてものは、酷く自意識過剰であると私は思う。これは誰かに聞いたわけじゃないので完全に私の想像に過ぎないが、ある程度の数のファンがついている俳優にとって、ファンは「個」ではなくファンという「集合体」に過ぎないんじゃないか、と思う。 

 

俳優からしたら、目の前にいるファン達には「自分を応援してくれている」という決定的な共通点がある、その時点でファンそれぞれに個性もクソもない。顔や名前を一致させたところで、ひとりひとりを個として認識するには情報量も少なければそこまでの労力をファンのために使うとも思えない。


つまり、俳優と一人のファンは「個」と「個」でという対等な立場ではなく、「個」と「ファンという『集合体』の一部」というラベル違いな存在ということだ。 


ファンのことを個として認識していない以上、俳優がファンそれぞれに好きだの嫌いだのという感情を抱くとも思えない。モザイクアートを見て、上から72番目、左から85番目のモザイクに使われてる写真が好き!とか思わないのと一緒で。 

※ここで言う「個として認識していない」は「認知していない」とイコールの意味で使っているわけではない。数年間ひたすら現場に通って、接触イベに行ってればそりゃ顔くらい認識されると思う、が、認知しているからといって、過去の接触でした会話や手紙で書いたことを覚えてくれてるわけでもなし、単にこいつ知ってるな~というレベルの認識で自分を特別扱いしてくれる可能性なんて0だということ、推しにとってのプライベートの友達や共演者や家族や仕事関係者と同じラインで自分の存在を認めてもらおうとするのはとんだお門違いということ、そんな意味を含めて「個として認識していない」という言葉を使っている。 

 「ファンサは宝くじ」「自分は集合体の一部」そう考えたら、接触イベントに行くのが楽になった。例え意にそぐわない対応をされても、推しは私を個と認識していないのだからこの対応に大して深い意味はないんだ、と思うようになった。それから、自分干されている?とか、何か悪いことしたかな?と変に自意識過剰になることがなくなった。そしたら無意味に落ち込むことも、反対に良対応を貰ってつけあがることも無くなったので個人的にはこの考え方は気に入っている。 

 ただ、いくら個として認識されていないからといって、開き直ってなんでもしていいわけじゃない。上でも書いたが芸能人だって人間だ。推しに不快な思いをさせるのは本意ではないしなるべくなら気持ちよく仕事してほしいので、最低限の礼儀と、推しを称える褒め言葉の種類と、人前に出て恥ずかしくない小奇麗さは常に所持しておきたいな、とは思っている。

 

 

おしまい。